死んでも終われると思うな。
PS3の真打ちは最後の最後にやってきた。
00年代の大映像化時代を象徴するかのような当時の最新ハイスペック鋭機PlayStation3。その「全世界のコンピューターを隷属させる」という(誇大)驚天動地なコンセプトは、2018年現在最新機種であるPS4さえ遥かに凌駕する壮大なものだった。話題性だけなら歴史上随一。
だが遂に、
この機体から史上最高のJRPGが生まれることはなかった。
怒涛の勢い余る映像演出至上で突き進んできた00年代も、やがては失速。黄金期に誕生した往年の名作JRPGたちは全滅に近しい惨状が広がっている。日本が引っ張ってきたゲーム市場も、世界にその場を移し始め、
時代は、“滅びかけた国産JRPG”などは到底寄せ付けないという新世界に突入した。
かつての名作たちはシリーズであることの存在意義を見失ったのか戦意喪失をつづけて沈黙。ドラクエ×FFの2枚看板たちはブランドにかけて迂闊にリリースできない。ネット×ケータイコンテンツに多くを占領された日本市場のライトユーザー層に全傾を注いでいるテイルズシリーズや、強いコネを全面に打ち出したキングダムハーツなどがなんとか奮闘する最中、
映像時代の華やかさにだけ憧れたキホンのなっていない新規RPGなどは死屍累々のマウンテンを築くばかり。
新兵はたしかによく死ぬ。
このゲームとて例外ではなかった。
だが必ず立ち上がる。
だって死なないからこの人
「ダークソウル」って何?
「死なないからどんな危険地域の観光でもやりますよ。」
あまりに死ななすぎて、だから暇すぎて、延々と危険地域の観光旅行に繰り出してる亡者によるゲーム。でも死なないから体は安心。心がやられない限り。このゲームを擬人化するとそんな印象。
導力の強いシナリオはないけれど、
シブく練られた世界観のなかを、
ひたすら攻略踏破していく。
いわゆる「死にゲー」と呼ばれる「死にながら攻略の糸口をみつけて達成感を味わうゲーム」というブランド。シナリオは強くないけど、「大人なファンタジーロマン溢れる舞台を最新式アクションで挑んでいくゲーム」だ。
大ジャパニーズRPGブームの最後にコレが出てくるとは
名作トピック
死に続ける意志力。
「たかがゲーム」と思ってるなら楽しめない。
とにかく「どうしたら攻略できるのか?」「どうしたら勝てるのか?」「どうしたらもっとよく死ねるのか?」という死に力。「女子力」とかと同じ「死に力」である。必要なことは。大切なことは。
その「死」からなにを「学」ぶのか。
その死からどれだけのことを学べるのかが、その後の成長にかかってくるわけなのであります。とにかくそういうゲーム。
☆☆☆☆★
すぐ死ぬ
低評価理由もやはりそれ。たぶん高評価の理由もコレでイケると思う。すぐ死ぬから面白いと。
難しくて、悔しくて、きつい、もうやめたい・・・
でも気づけば何時間もやってしまう
仮想通貨FXと同じ危うさ
メカアクションの名作「アーマードコア」の製作であるフロム・ソフトウェアということで難易度が高い。
アーマードコアはクリアしたことない。
オンライン・ネイティブ時代の作品
「最悪オレ一人で突っ込んで死ぬしかねえな。」
オラつき発言が頻出するオンラインモードのゲームたち。かっこよすぎ。
「俺に梯子バトルで勝つ自信があるってことでしょ。」
大仁田厚の電流金網デスマッチなみの際どさが伝わってくるのが梯子デスマッチ。
「何ビビってんだよオラぁ!?」
なんでみんな太ってんの?(素人談)
この時代になるとオンライン要素を取り入れた仕組みが盛んに模索されていたわけで、ダクソ(ソウル)系統のゲームたちもそれに成功。とにかくそういった時代のゲームであるついてこれるかな。ていうかついていけるかなオレ。
だいぶシリアスなファンタジー。
シリーズに驚嘆・「天はそれにのみファンタジーの名を与えて"王"とした。『ホビット三部作』」無職商船フライングニートマン号
シャドウオブウォープレイ記・「ホームレストライダーおっちゃんの人生逆転戦記」無職商船フライングニートマン号
あの「指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)」に立ち戻るかのような。
ジャパニーズRPGのファンタジーというともっとライトで崩された印象ありますが、ダークソウルの世界観はカッチリとしたやつ。
とはいえ、「指輪物語」の聖なるお話とは違うザラついた質感を持つ。
すなわちダークファンタジーと呼ばれる部類の世界。バスタードとかベルセルクみたいな。
なんにせよライトユーザー至上のジャパニーズRPGとは逆行した展開が繰り広げられる同作である。
洋ゲーだと思われる。(正解)
日本的なゲームの流れを断ち切って、
洋ゲーの名作RPGたちをモデルにしていると思わしき点とか一見すると完全に洋ゲーなのでやっぱり洋ゲーだと思われているけれどやっぱり洋ゲーなんだよね。
「国産RPG(日本企業が製作してるから)」ということではあるものの、その実はけっきょく洋ゲーですよこれ。
けっきょく洋ゲー(流行る)
しかし、
ジャパニーズRPGだろうと洋ゲーだろうと、
RPGはRPGなのである。
ロールプレイングゲームに貴賤はない。
面白いのか、面白くないのか。
売上
キングスフィールド1~4 | - | 94年~01年/PS-PS2 |
キングスフィールドアディショナル1~2 | - | 06年/PSP |
デモンズソウル | 約17万本/世界約131万本 | 09年/PS3 |
ダークソウル | 約33万本/世界約236万本 | 11年/PS3 |
ダークソウル2 | - | 14年/PS3-x360 |
ブラッドボーン | 約21万本/世界約210万本 | 15年/PS4 |
ダークソウル3 | 約29万本/世界約300万本 | 16年/PS4-xONE-PC |
参照「各シリーズ」Wikipedia/「ゲームデータ博物館」さま
この年代になるともはや国内売上では計れないもんですな。世界基準というの?ワールドスタンダードで考えていかないといけないよ。それに00年台では漬物石だったXbox勢での同時展開もマストになってきているね。
歴代タイトル
新時代・国産RPGの代表。あくまで国産なのであって、JRPGではないという点がキモになる。ウィザードリィなどのRPGの原点から、ドラクエやらなにやらの影響をガン無視してそのまま自力進化したような恐ろしい生物である。
2010年代前後に登場し、
近代ゲームの代表作であるダークソウルシリーズだが、
その源流はなんと初代PS世代にまで遡れるというのだ!!
意外にもプレステの準ローンチタイトル。※ローンチ…立ち上げ
キングスフィールド
ゲーム情報
3Dダンジョンのウィザードリィでアクションしちゃう。
いわゆる名門の出であったダクソ家。
なんとプレイステーションのド初期作品ということで、つまりは今日の日のプレステ隆盛を最初に盛り上げた作品たちのなかにその名を連ねるというダークソウル系。プレステ初期作と言うと「リッジレーサーが盛り上げた」「FF7のリリース情報で引っ張った」的なエセ知識しか持ち合わせていない僕には驚きですわ。
※プレイステーション(PS1)…2018年現在最新ハードとして世界を牽引するPS4の初代。大容量かつソフトの値段を大幅にコストダウンさせたCDロムによって「全てのゲームはここに集まる」というキャッチコピーを実現。当時覇権を握っていた任天堂のスーパーファミコンや次世代機ライバルであるセガサターンらを一蹴して天下を制した。
このときからマゾい攻略性がウケたみたい。
PSが日本で発売されて二週間目にもう店頭に並んだRPGである。「そんな短期間でまともなRPGが作れるわけがない」「やってみたらやっぱり単調で難しすぎるクソゲーだった」
…という初めの評価をものの数日でひっくり返し、マニアを狂喜させて驚異的な増産をかけ続けた伝説のゲームである。
攻略厨たちが狂喜したとか。
1994年というと、RPGの発祥というかゲームの興りそのものである攻略性重視なスタイルから、ドラクエライクな雰囲気やシナリオを愉しむ「JRPG(ジャパニーズロープレ)」が日本市場を席巻していたとき。そんな反動からかこんな原理主義的攻略遊びが再点火されたということなのかね。いまでもスマホの無料アプリではウィズ系の延々攻略型が高評価になりやすい印象ありますが。つねにルネサンスが起き続けると。
ブームが移り変わろうとゲームの本質は変わらないということか
現在でもデモンズソウルやダークソウルの聖地巡礼作品的な扱いとしてプレイされている様子。
キングスフィールド2
ゲーム情報
アイテムを拾っても何も説明されない。
まあ実際はそうだしね。これが何なのかってことは実際にはわからんもんだし。サトシだってポケモン図鑑で種合わせするし。現代ならスマホアプリで調べられるみたいだけどね。カメラに合わせると照合されるアプリがあるらしいですよほんと。
JRPGでは華やかなる冒険者たちの、
「厳しい真実」がここにはある。
「こいつがカギ落とす可能性あるからね。」
冒険者IRISさま
可能性で背部から斬撃を浴びせられる冒険者。
「キミ弓使ってるせいで接近キライでしょ(笑」
冒険者IRISさま
そのうえで武器相性の利点を煽られて屠殺されるわけである。
こういったシビアな冒険者事情は昔から変わっていませんねまったく。
キングスフィールド3
ゲーム情報
3連作の完結。
スターウォーズ・ファンタジー完結。
王国の地下墓所ダンジョン冒険者のジャンさんが、聖剣を手に入れて王位に就き、それを盗まれて聖剣ダークスレイヤーと共に追いかけて、闇落ちし、息子が聖剣エクセレクターでもって討伐するという一大スターウォーズ叙事詩がここに完結。
プレステ時代にここまでポンポン続編がリリースされ続けたことに拍手。
未だに完結しない世界観があるこの業界の中で。幻水とか。とはいえ3年連続リリースで、ゲームシステムにさほどの変化が見られないことからこの事は既定路線だったと思われるけれど。つまりコマ切れリース的なそういう手法的な。
とくにこの3は「3Dダンジョンの芸術」と称されている。
それにしてもキングスフィールドなんて今の今までぜんぜしらんかったよ
キングスフィールド4
ゲーム情報
着々とグラフィックが進化する。
「早すぎた天才」ってあるじゃないですか。
「主観視点でリアルに息苦しい戦いの緊張感を愉しむ」コンセプトも、PS初期当時のグラフィックやスペックではちょいとショボめの印象がぬぐえなかったでしょう。子どもたちが外から見ていてさ。自分でプレイしていればまだしも。
それもPS2の時代が到来し、
なんだか笑いモノにはできなくなってくるような。
そういうことありますやん。
「海賊王にオレはなる」だとか騒いでいても、イーストブルーでわちゃわちゃしている頃にはそんなのゴマンといるわけでさ。
そいつら自身すら実は信じてなかったり、というか意味も分かってなかったり。だから特に固執もせず、いつの間にやら忘れて奥さん子供こさえて昔のワルさを肴に日々を過ごしていく的な。
人を凌ぐってのも楽じゃねェ。
笑われていこうじゃねぇか!!!!
高みを目指せば出す拳の見つからねぇケンカもあるもんだ。
マーシャル・D・ティーチ
PS2時代にまで進出したシリーズ作となると、さしづめ「グランドラインの海賊たち」みたいな感じかね。
とはいえ、
グランドラインに進出した海賊たちですら夢を語るのははばかられる。
むしろ帰ることを念頭に置くようになるというし、ハイレベルなライバルたちや、しのぎを削り合う大海賊たちの闘争をみるにつけて戦意を喪失していくから。
ドラクエ、FF、テイルズ、スタオー、アーク、ポポロ、ワイルドアームズなどなども到達する新時代。
90年代のRPG黄金期には、売れに売れ、持て囃され、一大ムーブメントを巻き起こして栄光の道を歩いてきた大作JRPGシリーズの同期たち。
ド派手なプロモーション映像、
有名アーティストタイアップなOP、
声優さんたちによるドラマティックな演劇が舞台を熱くさせ、
プレイヤーを熱狂的な視聴者へと変えていた00年代。
攻略厨なダンジョン潜りと、
キャラの姿すらゲームに映らないこのゲームが注目されることなど、
もうなかった。
いや、まだなかった。
そういうのはサブ機でやってね。
キングスフィールド アディショナルⅠ
ゲーム情報
携帯機だから。
次世代になんとか進出した00年代のキングスフィールドシリーズは、PS2での4がリリースされて以降、携帯機にて展開。
そうとなればバトルもコマンドバトルタイプに(?)動きも直角的に(?)
つまりは昔日のウィザードリィ的な元の原始スタイルへと回帰。
というか退化現象か。
「立体的なポリゴングラフィックによって、更なる臨場感を生み出そうとグリグリと自由に動き回れるスタイルとして売り出した」というのがKFシリーズではなかったかと。でもまあ今回は携帯機なので負担をかけまいとこうなったんでしょうな。
良く言えば「このシリーズを練り上げるためにチャレンジした」んではなかろうか。
初代PSよりはPSPのほうが性能は上だろうけど、PS2よりは下だし、そうなるとグラフィック的な進化は望めないから、「これからの進化にむけて」その仕組みを明快にするべく作ったんではなかろうか。
ゼルダBOWも最初は2Dのモデリングを作って仕組みをテストしたと言うし。
目指しているのは「その場に立っている」というリアル。
だから「3Dグラフィック」ができるようになったPSに速攻参戦し、ウィズから受け継いだのか「主観視点」でもって視線とリンクさせ、息づかいまで聴こえてくる「重々しい挙動による戦いの駆け引き」を推し進めてきたのだ。
だからとにかく大掛かり。大作じゃなきゃできない。大作じゃなきゃ。
目指していることは「大作じゃなきゃできないことなんだ」と改めて認識したのではなかろうか。この仕組って、つまり「KFっていうゲームは大作じゃなきゃ価値を失うのだ」と。
こじんまりとやってもそれらはウィザードリィライクに埋もれてしまうし、意味がなかったのだから。
そしてやってくる2006年の新世界。
史上最大に大作RPGが望まれたPS3の登場。
「ゲームがここまでできるのか。」
「こんなんもう現実や。」
「物売るってレベルじゃねーぞ。」(誤用)
みんな待っていた。
史上最高のRPGが誕生することを。RPG黄金時代がやってきて、映像も美麗になり、映画産業なんのそのと日進月歩をつづけ、
いつしかゲームは、子供のおもちゃから芸術作品に。
だからどんどん期待するわけですよ。「もっとこんなんならねえかな」という具合に。
もっとリアルにガンガン剣を振って、バンバン魔法撃って、ドンドン壮大に、じゃんじゃん自由に。
てなぐあいの中2願望で。もうしわけ。でもそうでしょ。わりとオンラインRPGとかで展開されることになるんだろうけどそういった事は。
でも「ついにやれそう」って思った。PS3なら。
PS2の登場時に「リッジレーサーV」や「決戦」みたときに「すげえなあ」って思いましたけどね。結局。まあこれはなんでもそうだけど、
今の感覚で見るとPS2にしろPSにしろショボいんだが、当時前例のない状態で見せられるとそりゃ驚くよ。
PSにしたって立体のキャラが動いてるってだけでワクワクなわけで、さらにそれがバシバシ使えるPS2の映像にもドキドキなわけですよ。
こんな待望な流れの中で、PS3が登場。期待値は高まるばかり。
でもPS3は、どこのタイトルも使いこなせなかった。
ドラクエは出ないし(というか遂にPS3タイトル無いよね笑)、FFは遅すぎだし、テイルズもXboxで出してたし、
気づけば、あの黄金期を戦った名うての名作RPGシリーズは全滅していた新世界。
燃える展開でしょう。
ね。そうでしょ。
この流れで言いたいことはこれだけです。
フロム・ソフトウェアが目指したゲームはようやく、
『新世界』に到達する。
スッと出してや
RPGが、正しく進化した。
Demon's Souls(デモンズソウル)
ゲーム情報
みんなこれがしたかった。
キングスフィールドから続いた「理想の形」が、遂に「PS3のハイスペック」によって実現か。
そんなシナリオで持って追いかけさせていただきます。視点は主観ではなく、自分のご活躍が客観できる仕様に変更したものの、
まあ見事に「ハイスペックなウィザードリィ」ともいえる感動の絵面に。
これが「最新時代版、未知なるダンジョンを探求する冒険者」というわけで、パソコン時代にウィズをプレイした初期ゲーマー層や攻略至上型のゲームを愛好するゲーマーたちにとっては、
その飢えたゲーマー魂を潤してくれる進化だったのではなかろうか。
想像力ネタもよいけどやっぱりグラの進化もまんざらじゃないでしょ
斬新なオンライン要素もウケる。
オレの屍を越えてゆけシステム。
オンラインに繋いでいると「他プレイヤーのリプレイが遺る仕組み」が面白いとかね。死体からブツを回収できたり、死体の近くで罠が発見できたり、これまた死体になる数秒前の幻影から敵の攻略方法が窺い知れたり、とにかく「死者が教えてくれる」ゲームというわけである。
その死を決して無駄にはしない!
※このオンライン要素は2018年2月に終了したとのこと
というか何年可動してたんだろうか。逆に。最近までオンライン要素が機能していたということに驚き。
世界で戦える“日本のRPG”が誕生
DARK SOULS(ダークソウル)
ゲーム情報
最初にやることがもう遺体漁り。
世界観や神話体系の説明が為されたのち、不死のものは牢にブチ込まれるというわけで、もちろん不死のド変態プレイヤーは(死にゲー仕様の主人公)は囚われの身。投げ込まれたミイラ遺体を漁りながら、
とにかく立ち上がるのだった。
打ちのめされたことがない選手など存在しない。ただ一流の選手はあらゆる努力を払い速やかに立ち上がろうとする。byアイシールド21
デモンズソウルからダークソウルへと名称を変更してのリリースなわけだけど、そう違いもない御様子。
システム的な違いは多々あれど、根本的なコンセプトである「チャレンジ・発見・達成感」などのブランドテーマは共通の模様。
それでもデモンズソウル2ではなくダークソウルにしたのにはそれなりに期することがあったんだろうけれども、このブログの調査能力では把握できませんでしたよまったく次へ行かさせていただきます。
ちょっとコケる
DARK SOULS Ⅱ(ダークソウル2)
ゲーム情報
ボスたちのエグいこと。
2体同時とかね。
数体同時とか。ドラクエなんかのコマンドバトルでも2回攻撃で全体攻撃とかいるけど。それをPS3時代のハイエンドなグラフィックで視覚的に表現されると神経がエグれる。
これやってるときホントしんどいんだよねえー。
「もうやめようか」だなんて真っ先に思うし、「まともに考えたら何ゲームで死にまくってんだよ時間無駄かよ」とか、ふつふつとボルケーノイラプションしとるわけだけど同時に「やり通さなきゃ気が済まん」という意地でやり通す、あの悲哀。
ダクソ系統はやったこと無いんだけど、モンハンG級ソロ完全制覇とかやってたから
達成感があるといえばあるけれど、
喜びが瞬間的に燃え上がったかと思えばそれはやがて蒸発し、
徒労感だけが結晶化される。
そんな「参加賞」を記念に手渡され、ゲームというテーマパークにのめり込んだ少年時代に別れを告げる。それが「にわかゲーマー」だ。
ここでその喜びが蒸発せず、
さらなる燃料となってやる気のシリンダーがフルスロットル回転していく人々を、
世は「ゲーマー」と呼ぶのである。
それがいつまでも死ねない亡者の姿なのだ
※この2は完成度的に多少こき下ろされている
世界最高のRPGの一つに数えられる(独断)
DARK SOULS Ⅲ(ダークソウル3)
ゲーム情報
よく実況されるダクソ。
リアクション取りやすいんだろうね。あと「観る専たち」に都合がいい。
今流行りのVチューバーさんたちもこぞって(?)ワーキャー嬌声を上げながらキャピキャピとマゾゲーの面白さを伝えてくれています。ありがたき。
やっぱり難しいから。時間がなかなか取れない人や、ストレス溜めたくないという判断の働く場合には、やっぱり人のプレイを見てるほうが気楽だし。
たしかに友達と集まって人のプレイをワイワイいじりながら愉しむ風習って在った。ドラクエはそのためにステータス画面なんかを視覚化したというし。
もとのPCロープレでは「つよさ」とか画面表示されてなかったとか
それにしても遂に御神体をPS4に移し、
現近代(2010年代)史上最高にハイクオリティなウィザードリィが誕生している。
まだウィザードリィ基準
「死んだ時のソウル」を回収すると経験値を取り戻せるヤツ。
死にゲーだからよく死ぬというわけで基本的にはやり直しというわけなのだが、救済策はちゃんと用意されていて「死んだ地点にいくとソウルが留まっている」ので「それを回収できれば経験値が帰ってくる」という萌えるゲーム性を搭載。その途上でまた死ぬとそれは消失。(今死んだ時点のソウル回収チャンスに上書き)
死ぬたびに強くなれるという死中毒システム
※別に今紹介したからといってダクソ3限定システムではなく、シリーズ通したブランドシステムである
その他の関連作品
ブラッドボーン
「グロ魔物ハンター」みたいなやつかな。
うん。銃撃アクションなども搭載したゴシック・グロ・ホラーテイストなダクソ感らしい。さらにはだんだんと宇宙感のある壮大なホラーにまで発展するというのだからたまったもんではない。
絶対やらないわこういうタイプ。
基本ビビリ
このようにダークソウル2から3の間にも、趣異なった新規タイトルを製作したくてたまらないといった制作陣の溢れるクリエイティビティが羨ましい。
KF→ダクソ系と言うにとどまらず、
多くの派生作品という名の試行錯誤の上にダークソウルは成り立っているのであった。(あるいはその逆でもある)
ソードオブムーンライト
「KFツクール」みたいな感じらしい。
主観視点3Dダンジョンアクションゲームが自分でツクれるだなどというけしからんコンセプトらしい。RPGツクール的なキングスフィールドツクール的な。
自分たち用に作ったんじゃないのか?
シャドウタワー
シャドウタワーアビス
基本的にはKFシリーズと同じという情報のみ。
ただし「すべてのモンスターやアイテムが有限なので、より戦略的攻略性の高いプレイ方法が要求される」仕様とのこと。エムブレムでステージに限りがあるなか経験値配分を考えていくのに似ているか。
「攻略性とは?」を試行錯誤していたころの派生作品というところか。
名キャラ列伝
“深淵歩き” アルトリウス
最初の火の時代に太陽の光の王となったグウェンの4騎士。
常人には往けない深淵を往くことができたというダークレイスの狩人。通称・深淵歩き。身の丈以上の大剣を肩で担ぐようにして半身をだらりとさせる異様な構え方は、見るものの恐怖を掻き立てる。
かっこい。
“灰色の大狼” シフ
アルトリウスの誠忠なる牙剣。
ともに深淵のヌシに挑み敗北し、主を失う。彼の死後その墓を護り続けること幾星霜、主の剣を携えてプレイヤーに立ちはだかるのだった。
なくわ。
多くは語られないゲームだが、ボスたちの背景に涙
火防女(ひめもり)
ソウルシリーズの火防女の中で一番好きなのは、デモンズソウルの火防女です❤
この仕草…ヤバすぎる😆 pic.twitter.com/LevVw9i4mM
— テラちゃい (@Teracyai) 2018年7月6日
これがJRPGをつくっていた界隈を絶句させたヒロイン(想定)である。
こうしてみると可愛いけれど、
火防女がヒロインとか説明されたら絶句して当然じゃん。
あまりにも「ヒーローと傍らに佇むヒロイン」という青春ジュブナイルスタイルのJRPGがブームだったところへ持ってきての死にゲーRPGをつくろうってなわけだから企画通すにもそりゃー「火防女をヒロインとして申請しとくか」という施策は理解できないことではないけれどさ。
ニーアオートマタでも目隠しゴスロリ案に対し当初は「すぐ外れるから」と虚偽の申請をしていたらしいよ(外れるには外れるが)
いま「ダクソ」を楽しむならおすすめはどれから?
ダークソウル3
※拡張版
2018年現在、“史上最高のRPG”の列席にその身を置くことのできる作品の1つ。
グラフィックや音響、ゲーム性という点においてはこのダクソ3がやはり最強のご様子。2で一回コケている分の反省が最大限に活かされているのではなかろうか。そんなお声を集めることに成功しましたけどね。1から3は一応つながってるようだが、あんまり気にしなくても良さそう。もともとシナリオゲームじゃないし。
やる気満々なら普通に1から順にプレイ
世界観はつながっているわけで、
ボスキャラたちのシナリオ背景やらを窺い知ることで密かに感動できる歴史大河的な楽しみ方が可能でしょう。(とはいえそれほどメインに語られるわけではなさそう)
3から戻るようにやるとシステム面での進化を逆走することになるんでね、
それはそれで困るだろうけれど、やる気満々なら1からが順当ではなかろうかどうだろうか。
ホラーがお好きならブラボか。
※ジ・オールドハンターズエディション(DLコンテンツ+本編の完全版)
グロ表現がたまらないというジェ○リーマーダーたちにはこういった作品もあるというわけでやだやだ。
おそらく切り裂きジャックに興味ある人はウケる
KFは記念に?
PSダウンロードストア・「KING'S FIELD/ゲームアーカイブス」
PSダウンロードストア・「KING'S FIELD 2/ゲームアーカイブス」
PSダウンロードストア・「KING'S FIELD 3/ゲームアーカイブス」
そりゃいま見るとすごいからねえこれは。コンニャクみたいな塗り壁ステージとか。記念にやったらええんやないかな。人様の実況で良さそう。
主観視点でやりたいだけならスカイリムのほうが正解か。
和風ならコーエーテクモの「仁王」
和死。
歴史のコーエーと、これまた鬼畜ゲー「忍者外伝シグマ(NINJA GAIDEN Σ(ニンジャ ガイデン シグマ) PLAYSTATION 3 the Best)」のテクモが合体したことによって可能となった「センゴク死にゲーアクション劇」が「仁王」となります。
PS3登場時に少しばかり世間を賑わせた大作タイトルだったんだけど、いつしか居なくなっていたヤツ。
※黒澤明の遺稿にあったアイデア「金髪碧眼のガイジンサムライ」からとか云われていたがそんなん有耶無耶になってるみたい。
「人食い大鷲のトリコ」とかそんなの当時多かった印象あるけど。無期限中止状態とか。PS3ではゲームが作りづらかったことに関係あるのかね。それともやれることが飛躍した結果に収拾がつかなくなったのか。
しっかし近年復活し、みごとに高い評価を得たダクソ系のゲームらしい。
モンハンから討鬼伝を作ったりダクソから仁王をつくったり海賊無双したり最近のコーエーは乗っかりがすごいな。
コーエーユーザーだけどこの手のゲームに手が伸びない
でもさ
ここまでくるとカプコンの「鬼武者」や「デビルメイクライ」は死にゲーとは違うのだろうか?だなんて思うけど。
アクションあんまりやらない自分からすればああいうのもずいぶんと難しそうやで。
まとめ
↑【必見】ボスたちのバックボーン動画
ジークヴァルドと巨人ヨームの裏話アツいやんか
原点回帰×正当進化
人間性を捧げよ。
というキャッチコピーのインパクト。ゲーム作中においての重要な燃料になる「人間性」なるリソース。ドラクエで言えば「宿屋」的な、というかRPGでの「町」的な唯一の安息地「篝火」に焼べることでなんやかんやとやる(雑)スタイルが象徴的な本作。
※ダークソウルの“人間性”……とはいえ明確な説明が為されないので「人間性」とかゆうても、「その国の言語で適当な単語がないために勘案された翻訳当て語」みたいな印象あるからやっぱり洋ゲーみたいだけど。
「人間性を捧げるほどのマゾプレイで愉しむゲーマーたち」みたいなことで落ち着ける。無難なところで。
そういった亡者(ゲーマー)たち御用達のタイトルという着地点。
だから「3Dグラフィック」ができるようになったPSに速攻参戦し、ウィズから受け継いだのか「主観視点」でもって視線とリンクさせ、息づかいまで聴こえてくる「重々しい挙動による戦いの駆け引き」を推し進めてきたのだ。
そんなん新規開拓されしJRPGユーザーが一番キライなやつやのに。
JRPGは簡単か?
これは「万人に愛されるJRPG」から「楽なゲームに飽きたすべてのゲーマーたちへ」という原点回帰なのか。
まあ、でもあるだろう。
ここでいうところの「ジャパニーズRPG(JRPG)」とはシナリオ主導であったりライトな造りであったりするモノの総称として用いているけれど、実際はもっと細かい。
名作列伝ではなんだかお子様向け至上主義みたいな印象を与えてしまうかもしれないが、テイルズやキングダムハーツだってボス戦などはだいぶ難しい点がある。隠しボスは当然として。スタオーのボス連中もわりとエグいし、
そもそもJRPGの始祖として位置づけているドラクエだってもともとのボス戦の緊張感は半端なもんじゃない。オルゴデミーラ4回倒すやで。
まあ幻水はボス楽だけど。雰囲気超重視系も確かにある。いやでも108人ノーヒントは無理か。
ゲームってそもそも難しいわけで。でもちゃんと攻略できるわけで。
それはドラクエもダークソウルも同じでしょ。
JRPGって、というかドラクエって、それのシステム周りや進み方とかをわかりやすくしてくれているというだけだった様に思うよね。
パソコンのユーザーインターフェース(画面のデザインとか諸々)がマシン語だけで羅列されていてITオタクにしか解らなかった構造を、グラフィカルユーザーインターフェース(いまのようなわかりやすいビジュアル重視な画面デザイン)にすることで多くの人がパソコンに親しめるようになったというような。(つまりOSの搭載的な)
取っつきやすさ。
なにをどうすれば取っつきやすいのかという点は発想次第なところもあるし、一般化できる点はあるだろうけどまあそれは置いておこう。めんどくさいし。
でもコレは歴史上幾度となく繰り返されてきたもので、
例えば「馬」に乗ることだって多くの人はできなかった。難しい。でも「馬具」が多く発明されたことで操りやすく乗りやすくなっていき、やがて人類の乗り物として発達してきた。
その後に乗り替られた乗用車だってハンドルとペダルだけで動かせるように工夫されて初めてみんなが乗れる。
マンガと小説くらいの違いでもあるじゃん。
小説とか活字媒体は昔からあるが、パソコン界隈のお話を「スティーブス」とかマンガで視覚化もしてくれるおかげで一気に読者層は広がるし。グラフィカルユーザーインターフェースなんて単語ここで知ったやで。
でも小説も漫画も、「シナリオ構成」とか「演出的なシーン」とかで面白くなったりならなかったりする。
つまりそんな本質は同じと。マンガも出てきた当初はもっと子供向けだったり構図も単調で一コマの中に同じ等身で描かれるだけだったけど(表面的には子供向けにとっつきやすかったという話で、内実はそうではないだろうけどねアトムとかさ)、
「巨人の星」などを境にして描画表現が自由自在に用いられ、それすら通り過ぎたのか今では大した画力なんぞなくてもマンガ大賞とかに選ばれたりする。
画があるから小説とは違ったはずなのにさ。
「最初に取っ付きやすくして浸透させておいて、原点回帰させる」というわれわれの飼育方法ですよこれは。
小説界というか物語界からの。
ダークソウルも完全にそれじゃん。
まあ一面では
また、「取っ付きやすさ」のための1策として演出力などを向上させた結果、いつしかその点だけが肥大化していく国産ゲームが出始め、JRPGとは「映像偏重のシナリオ指示厨」とも印象付けられることになったのだろうか。
まあ一面では
めっさ「いきなり出現した」と見せかけてくるやん。
だからこの流れからすると、
ダークソウルもJRPGの範疇に入りそうなもんだけどさ。
だって難しいけどちゃんとクリアできるように作られていて理不尽でも分かり難いというわけでもないし、
国産だし。
なにより。それが強めのファンダメンタルズ。
だが取っつきにくいのは事実だろうし(死にゲーという触れ込みや洋ものファンタジー感丸出しである点など)、
基本的にはドラクエから流れるJRPGの匂いがまったくしないんだけど。
ここまで何十作とドラクエ起点でクンクンしてきた僕としては困ったもので。匂いが途切れて困惑する警察犬の如き状態。命令がないから主の墓に鎮座するしかないシフの如き静謐さで見守るしかないと言った状況。そりゃ人様に言わせりゃいろいろと言えるもんだろうけどこちとらとにかくそういう感想。
ウルティマ×ウィザードリィ → ドラクエ →JRPG
ウルティマ×ウィザードリィ →→ KF →AC→ → ダークソウル
こういう感じよこういう感じ。まったくルーツを辿れないわけじゃなく、そしてそれは三大始祖に求めることができるほど正統であるにもかかわらず、あの出せば出しただけ売れただろう印象の強い日本のRPG黄金時代を潜みきり、突如として2010年代に登場するF-22ラプターみたいな決戦存在だったから。
突如として2010年代に登場するF-22ラプターみたいな決戦存在だったから。
2回言っとこ
※F-22ラプターが2010年代に出現したというのではなくステルス性能至上の第5世代戦闘機をかけているだけ変な例えしなきゃよかったわ
めっさいきなり出現したと見せかけてくるやん。
そんなんできる?できひんやん普通。黄金期に売れとるはずやん普通。いうといてや先に。できるんやったら。
※いやそりゃドラクエフィーバーを見ていれば、取っつきやすさとかプレイしやすさだとかに気を配るようにはなるだろうし、盛んになったアクションRPG研究とかの影響はあるだろうけどそれは変なこと言わなきゃよかったわ
キホンは「ウィザードリィ時代のRPG原理」そのものじゃないのかね。
延々と能力強化して、宝箱を見つけちゃ開けて、全滅してはまた潜ってを繰り返す純粋なゲーム性の化身。そして舞台設定だけの演出力にとどまる辺り。
それを「よりリアルにしたかったまで。」では。
だから「3Dグラフィック」ができるようになったPSに速攻参戦し、ウィズから受け継いだのか「主観視点」でもって視線とリンクさせ、息づかいまで聴こえてくる「重々しい挙動による戦いの駆け引き」を推し進めてきたのだ。
そしてこれってゲーム機のスペックが上がらなければ不可能だったし、雑に言っちゃうとゲーム機のスペックさえ上がればできてしまうのではなかろうか。
うん。だいぶ雑だけど。
ただし余計なことなどせず、そのまま最短距離で目指したならば。変なことなどせずに、映像重視だとか映画産業を超えるだとかそんな色気など出してわちゃわちゃせず、
ただひたすらRPGの原点を、
その面白さを、
邪魔せず、
進化させるだけ。
そしてそれは
RPGの面白さを、
心底信じきることができなかったならば
到底到達できなかっただろうなと思う。
やっぱ儲かってたりキャーキャー言われる方に行きたくなるじゃん
とはいえ、
そうしてワチャワチャと映像技術に奔った勢力がいたからこそ、ゲーム機とかそのグラフィック表現力が向上し、ようやくリアルなウィザードィが生み出せるということではある。
そんな落としどころでよろしくおねがいします。
※以下、人様に伝える気ゼロ内容。
だが書いておきたかったので記載。
RPGのロールって役割というかジョブか
みたいなことでこれまで消化してきたけど、
やっぱりどうもそれだけじゃ腑に落ちないよ当たり前に。いやもちろんそれは分かってんだけど、
このコーナーとして明文化しておこうかと。
しかして00年代の映像化暗黒時代は、
皮肉にもコンピュータRPGの原点に立ち戻るかのような名作たちも輩出してきた。
ウィズを現代に蘇らせたのが「世界樹の迷宮」なら、ウィズを最新式アクションRPGに進化させたのが「ダークソウル」
という仕切りでよろしくお願いいたします。太古の三大始祖RPGやら、初期の頃やら、そして00年代における世界樹の迷宮やらを通覧していると、
ハクスラ的な“原因”があることに気づくとした。
そしてようやく気づいたんだけど「役割=ロール」ってパーティ編成のことなのねどうも。
とは名作列伝としてウルティマを追いかけた時のキャッチコピー。もうここで自分で触れているのにも関わらず意外と見過ごす。
戦士だったり、盗賊だったり、魔法使いだったり、僧侶だったりを編成し、それぞれの役割をうま~く用いる、あるいは助け合わせることによってゲームの攻略を進めていくという“原因”こそ、
RPGの原点の1つなんだと。
ようやく掴めた。
「いや当たり前じゃんそんなこと」ってね。うん。それはわかるけど。わからないところがわかったんだよってことで。ね。
だって個人的には「ゲーム性があってドラマ性があってプレイヤーが関与できればそれでもうRPGだ」と思っていたから。
というか自分が「RPG」という名前に要求することってそれだけだったから、そうであれば何でも良かったというところがある。
でも実際には、
フィールドマップがあったり、街があってダンジョンがあってボスが立ちはだかって、仲間がいて、戦士やら忍者やら魔法戦士やらバトルマスターやらと編成して、より強く成長させて宝箱からレアアイテム漁ってさらなる強敵ダンジョンを求め続け、シナリオ進めてクリアに至って感動するという、
具体的なRPGの要素たちがあり、
その一つ一つが面白かったって。
あるいはその全体。面白かったなと。ひたすら成長するのも、宝箱開け続けるのも、フィールド巡るのも、街の人に話しかけて情報収集するのも、どんなジョブで編成していくのか考えるのかも、それをどんなシナリオの中で愉しむのかも。
いや、だからどうってことじゃなしにさ。
「でもそんなに要素がガチガチ決まってたら新しいもの作れなくない?」「ゲーム性とドラマ性ってだけのほうが新しいもの作りやすくない?」という考えをわりと漠然と持っていて、
RPGという名称にこだわりなんて殆どなかったんだけど。
それは言ってみれば自分がウィザードリィやらというRPGの原点をあまり知らないから、そんなに簡単に言えることなのであって、
「これだけ重たいモノなんだな」と心で理解したって話。
だからいつまでも変わらないような世界観や質感が何度も何度も繰り返され、一見古臭いと思われるようなシステムがこれまたしつこく採用され続けるのだと。
良い悪いじゃなくスッと「納得できた」というわけ。
だってたしかに面白いしロールプレイ。
褒めてんだよね
冒険して、成長して、攻略する。
それもまたRPGの“原因”であった。
まさかダークソウルまでやることになろうとは
各Youtubeチャンネルさまには感謝申し上げまする。
紹介が華やかになってまったくありがたい。
一応、個人的には「ゲームの場合、プレイ動画の製作者さんにもその権利は生じる」という解釈のもとで、好き勝手にキャプチャさせてご利用させていただいております。ゆえにゲーム会社、そして実況者さん両名からの削除クレームにご対応させていただきます。ただでさえの弱点属性を2つに増やすという挑戦ですよね。
メールフォーム・「サイトポリシー」
自分のなかでは引用の範囲内。垢バンされようがこれだけは譲れない。画がなきゃつまらんもん。
やっぱ動画でみてもらったほうが話が早い。結局。そんでわりと視聴してるんでホントは動画に対するコメントとかしたいんだけど、あんまり字面が多くなるともはや何の記事なのか不明になってくるから。(一応コレでも文字数は気を使ってんの。まとめは最後だからいいけど。)そんで今では元々ゲーム実況とかそんなに興味なかったのに、必然的に観ることが増えたからか、「ゲーム実況ええやん」という
とても都合よくゲーム実況肯定派へ転身させていただきました。
あざっす
あとツイッター民の方々も貴重なつぶやき助かります。
すごくあざっす
さてさて
2014年に何気なくはじまって何気なく中断されて何気なく再開されて何気なく中断されてはダークソウルまでやってまいりました。2000年代の終わりから、2010年代の始まりの作品。
懐古ブログみたいな発言もチラホラと見受けられたけど。
まあそれはプラスの意味でのアレなんだろうけどねアレねそうでしょまったくよろしくおねがいします。そうして楽しんでいただけている分に関しては光栄の至りだけど。
でもキホン「列伝」なだけであって、別に懐古ではない。その時代に生まれてないし。
ウルティマとかウィザードリィやらも。だからレトロゲームブログでもないし、レトロゲームを激賛するというものでもないわけ。
※いや「懐古」が嫌とかじゃなく(むしろ好き)、懐古と呼べるほど大それた当時の知識など持ち合わせていないので
というか言っちゃうと殆どつまらんぜ。今やっちゃうと。みんなでわいわいイジりながらやるには面白いだろうけど。
野球知らない人がやるとこんだけ面白くなるゲームとかはあるよ。
よってファミコンだけでもないし、スイッチでもOKやし。
めっさ尊重はすれども。イジり芸も愛あればこそ。興味なければスルー。
なんやかんや言っても「ゲームが好きなんだな」という心境に至っているこの頃。この世界観というか、まあそんなにプレイはしてないけど、触れているだけでというか。わかるでしょ。故郷みたいなもんで、あれもこれも知ってるし、共有できる話題というわけで。
参考・「好きなことがある世界で生きて死にたい。」無職商船フライングニートマン号
そういえば前作「世界樹の迷宮列伝」から間が空いてるけど、それはこの名作列伝全般のリメイクをしていたからで、最近にしてようやくダクソ列伝まで終えることができた。
正直、自分がおもしろくないゲームもある。でもソレと「世の名作は違うんだ。」ってのがよくわかったのでした。
アタマではなくココロで理解したというプロシュート兄貴感だよ。結局は。前にも言うたけど。「私の言う」とか「私にとって」ではなくて、
「誰かにとってなんであったのか?」という名作列伝。
「我が主張論」やら論文までこさえて主張するほど自分自身のRPG論などを持っていたわけだけど、そして世の中がそうでないことなどはアタマでは理解していたが、「ここまで違うんだなあ」と痛感するわけで。まあ食べ物の話に例えればよく分かるってもんなのに、なかなかね。
そしてそれがわかったところでどうだって話でもあるんだけど。強いエゴがエネルギーになることの方が遥かに多いわけだしさ。
でもええやん。別に。自分の知らないものは尊重から入るという方が。人的に。
司馬遷の「史記」とかプルタルコスの「英雄列伝」を真似て。
ダンテの「神曲」もすこしあり
漢代以前の中華史においては史記がなければその多くが伝えられなかったし、対比列伝はその時代の地中海世界における第1資料扱いで、とくに古代ローマの王たちの事を伺える数冊の一つですらある希少さ。
今日ではインターネット上にブロックチェーンのごとく、プロからアマチュアから多くの記載が残せるけれど、当時は限られし手法。
まあもちろん自分のはごっこ遊びでやってるけどさ。どこにでもある情報だし。というかWikipediaとアマゾンレビューの行ったり来たりなお手軽さでありがとうございます。
そんなこんなで現代までその勇姿が伝えられるわけですよ。“飛将軍“李広やら“ローマ人のバカを治した”ヌマ王やら。
李広や司馬遷が死のうが、プルタルコスやヌマが死のうが、それは伝えられる。話も伝えられるし、技も伝えられるし、とにかく伝えられる。
というか繋がっていく。終わらない。
どうあっても終わらないこの世界。
死んでも終われないこの世界。
実は。そりゃ個人は死ぬし終われるよ。諦めても終われる。
「もうこれだけオチたしもういいや」とクリアせずに終わろうと、
世界は終わらない。
その何かしらの影響が誰かや何かに繋がって伝えられて、
この世界は終わらない。
それはうまいこと言うけどダークソウルの幻影システムのようにねありがとうございます。
どやこれ言うたったやで
RPGが生まれた頃だろうが
黄金の1990年代だろうが
暗黒の2000年代だろうが
激動の2010年代だろうが
続いていくわけですよ。RPGは。
どんな姿で生まれ、どう成長していき、どう冒険していくのか。
それをただ追うだけ。
それがRPG名作列伝でした。
とりあえず00年代編まで「完」