きみならどうする?
なんか夏には登山にでも行こうかなあといろいろ調べていたらそっちに気が行ってね。
(▽Д▼ )
山って深いのね。
北アルプスのジャンダルムとかニートの健脚を持ってしては登頂を断念せざるをえないよね。
ハイ。
そういった私生活における情報まで持ち込んでの活躍となるこの「名作を追え」のコーナーがはじまるよ。
こんなんで「グランブルーファンタジー」まで行けるのか心配だねまったく。
今回はそんな最新スマホRPGなんかではまったくない、
いにしえの名作にして、
RPGが単なる読み物ではなく、
ゲームとして活躍するために背負った宿命。
”プレイヤーの行動が反映される余地”
そんなゲームの”宿業”に迫る。
(▽Д▼ )
黄金の空からこの大地の地殻ともいえる世界に落ちていったと思ったら、地下迷宮のごとき
途方もないほど遠大なダンジョン
に入り込んでしまったんだ……。
千年は生きただろうという万物の霊長のドラゴンに導かれてなんとか抜けだそうともがいているのだ。
そういう設定なのだ。
よろしくお願いします。
だけどあまりに広すぎて迷い死にしそうなのでぱぱっと調査を終えてササっとここから出て行きたいボクです。
とにかく魔法が必要だ。
魔法があればだいたいOKだから。魔法さえあればここを抜け出せるからね。魔法を探そうということでこういうところに居るわけだった……。よろしくお願いします。
「ソーサリー!」ってなに?
「ぼくたちは魔法使い」
「ソーサリー」やら「ソーサラー」やら、我々ゲームや漫画に親しんできたものには必ず目にすると言っていい語句ではないか。「ウィザード」やら「ウォーロック」やら。
どれも”魔法使い”のような意味だね。
言語の違いとか元々の厳密な役割や起源の違いで名称もいろいろ変わるけれど基本的には魔法使いのことであるし、あるいは「科学法則を無視した超常現象をひねり起こせる」存在だ。
これが魔法の存在を世に知らしめたとかはじめに使われたというのではないけれど、ロールプレイゲームを通じることで「プレイヤーをその気にさせた。」という点で偉大なことだろう。
なんにせよそのままシンプルに「ソーサリー!」なる名作が存在し、なおかつファンタジーやゲームには欠かせない魔法をメイン要素として世に広めたかもしれないと考えると感慨深いものがあるではないか。まさにそのままな「ソーサリー!」なんていう魔法を使う名作ゲームを通って今のモノがあるのか~と。
「タイプブルー反応!?……!!??……では貴様がオリジンか!!!!」
などと感嘆符と驚嘆詩でこれを表わさずにはいられないというものだよ。
ソーサリー!独自のシステムであり、またこのシリーズ最大の特徴である
「魔法の呪文の書」。
個人的に大変よく考えられたシステムだと思うし、大好きである。発明とさえ言えるだろう。特許すら取れそうだ。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~ootto/Opm/sjs/abo10-12.htm
ではそれはいったいどんな場所から提供されていた名作なのか。
ご家庭ファミコンの名作でオヤジ世代を熱くさせた?
いやいや、まだ世に広まっていなかったPCでやるゲームの名作なんじゃないの?きっとそう!
いや、やはり前にみたテーブルトークRPGなんていうエンシェントレジェンド級の遺物なのではあるまいな?
安心してください。
ゲームブックですよ。
トピック!!
熱き戦国の80年代に流行!!
選んで進め!!「ゲームブック」
ゲームブックってなんだろうか。と言っても概要はカンタンで、
「選択肢のある読み物」
と思えば良さそう。
とうぜん私は未プレイですわ。
テレビゲームでいえば「アドベンチャーゲームまたはテキストアドベンチャー(ADV)」にあるものだ。うん。
「幻想水滸外伝ハルモニアの剣士」とか、
あとはそうだね「幻想水滸外伝クリスタルバレーの決闘」なんかをやってみるといいと思うよまったく。
というか幻想水滸伝をやろう!
幻想水滸伝はテレビゲームだぞ。楽しいぞ。
(▽Д▼ )
80年代にフィーバー!
ゲームブックは日本では80年代にひっそりとブームが生まれてひっそりと消えていったある意味で幻のムーブメントであったとかどうとかよ。
なぜデジタルゲームが出ているこの時代に?
もちろん80年代といえばすでにPCゲームでRPGが出ているし後半には日本でもドラクエやファイナルファンタジーが出てくる。
70年代のテーブルトークRPGならいざしれずなんでこんなゲームブックなんかが流行ったのかって疑問もあるよね。ボクだけじゃないよね。ね。気になるよねみんなね。ね。
なんでもありな熱き戦国の80年代!
それはたぶん80年代にPCゲームが出ているとはいっても今みたいに多くの人が一家に一台パソコンやら一人一台スマホやらの時代ではないし、故にPCゲームもいまだ一部のガジェット通たちのテリトリー内に納まっていたといったところなのかな?
”ハザマの時代”
というやつなのではないかねエイティーズはさ。80年代はさ。テーブルトークRPGもありーのゲームブックRPGもありーのテレビゲームやパソコンゲームもありーの。そんな爆熱のエイティーズ。
……でもなんかテーブルトークRPGとも似ているしいったい何が両者を分けるのかはよく分からんですわ。
ゲームブックのほうがなんかお手軽そうなイメージだけど。
いろいろセッティングやらなにやらしなくて良さそうだし。
でもソーサリー!はするとか。
じゃあもうわからん。
せっかく分かりかけてきたのにそんなん言われたらもうわからんからな。
主に文章を楽しむ事ができるというのが一番の利点ではないだろうか。
( ;´∀`)
そして勿論ゲームとしての絶対条件として遊べる要素。
それが”選択の結果”というアソビなのだね。
やはりテーブルトークRPGよりもこの選択を楽しむのではないだろうかわからんけども。
テーブルトークRPGが”発想”しだいのアドリブゲームなら、
ゲームブックは”選択”しだいのノベルゲーム?
さらに、
ひとりで。
このワンマンプレイへの欲求がやがてその世界に引きずり込まれて行く”一人プレイ専用RPG”のスタイルへ積み上がっていくのかもしれない。
ややこしいぞFFシリーズ!!
「ソーサリー!」というゲームは「ファイティングファンタジー」略してFFシリーズの一角を担うものであるというのだ。
ソーサリーは中でも4部作と長く日本ではゲームブック最強シリーズとの呼び声轟かすのだとか。なんでかはよくわからんけどね。
それにしてもなんてややこしい名前のシリーズなんだ。
FFといえばやはりスクウェア帝国の牙城であったテレビゲームRPG「ファイナルファンタジー」だよね。
そんでもって「最初ファイティングファンタジーにしようと思ったがもう存在したのでファイナルファンタジーにした。」とどこかに書いてあったけど、このシリーズのことだったのね。
ちょっとそこらのチョイ作の商標ならわかるけどここまでの大作の商標が知られていないなんてこの時代のスピード感が伝わってくる。昨日ドブに転がってたと思っていたら明日はもう空へ羽ばたいているなんていう感じ?
そんで勿論、
あのRPGの始祖「ダンジョンズ&ドラゴンズ」に触発された男たちが生み出したということである。
それは英国でD&Dのおもしろさに熱した二人の男、
によって始められた遊び。
こうして今日へと続いていくのだ。
なんでもさ。
機関紙「ウォーロック」
「ウォーロック」なんていう名前もどこか昔の名作ゲームとしてありそうな響きだったものだけど、(というかそう思ってた)これは「ファイティングファンタジーシリーズ」の機関紙であったという。
いわば専用広報誌。
しかし後々ファンタジーゲーム全般を扱うファミ通のような情報誌となっていったとか。
”ロープレマスター”安田均さんかロープレ草創期にその名を轟かす大物たちがいろいろと関わっているということですよはい。よくはわからないんだけどさ。まあいいじゃない。
14
(▽Д▼ )?
売上
ファイティングファンタジーシリーズ最初の「火吹き山の魔法使い」は25万部をこえたとかどうとか。一般書籍なら10万部を超えるとヒットといえるらしいし、ゲームブックという何やらわけの分からない代物でこれなら相当だね!
( ;´∀`)
歴代タイトル
前回のD&Dでは原作版をメインとして追ったけど、今回は「日本で活躍した古の名作」ということで日本上陸後のソーサリー!を基軸に追うぞ。原作版はタブに入れておくから。
The Shamutanti Hills
ソーサリー! 魔法使いの丘
いやそういうんじゃないから。
プレイヤーは48手もの魔法を駆使して物語を踏破するのだという。
まず呪文の書をみて暗記し、妄想を膨らませつつ、しかるのち、
本番に挑んで記憶力を頼りに魔法を使い戦っていくのだとか。
そういう手練手管のテクニシャンじゃなければ生き残れないのだ。
いやだからそういうんじゃないから。ホント勘弁してください。なんですか別にぜんぜんそんなことはないんですよもう。そういうことを想起させようとかじゃないんですよまったく事務所を通してからにしてくださいそういう質問はっ。
もともと「ファイティングファンタジー」の最初となる「火吹き山の魔法使い」を見出したのは女性編集者。しかしこれらの作品が「子供向けの作品」であることから彼女の評価がなされないことに、原作者たちが男気見せて「じゃあ大人向けのすんごいのつくってやるよ!!!!ああやってやんよオレやってやんよ!!」ということで爆誕させたという。※大体で話しております
(▽Д▼ )
さいきん世間を賑わしていたSM○Pと辣腕女性マネージャーのお話のようだね。
日本は平和でいいなあ(*´∀`*)
ゲームブック界の最強神ソーサリー「魔法使いの丘」
顔面ソニーレイ+さま
「ソーサリー! 1」のなかまたち
さあ、なんとかシャムタンティの丘の猛獣ども打ち倒して来たぞ……
\(▽Д▼ ;;)メラッ!!!!
とか言ってもメラが出ないもんだからねこの世界は。
怪しげなアルファベット3文字編成の魔法だからよくわからんわって感じで。
お次は「無法の街」へ……。
と思ったけどどうしよう……。
Kharé - Cityport of Traps
ソーサリー2 城砦都市カーレ
ヨハネスブルクより治安が悪いと
いわれるメキシコのフアレス市より
も治安が悪い。
顔面ソニーレイ+さまより
というくらいとにかく治安が悪いのだとかよこの街は。
強いモンスターが普通に街にいるらしいからね。
いちおう城塞都市なんだけどね。すでにデフォルトでモンスターの侵入を許しているわけ。むしろ迎え入れている感じもあるウェルカムな感じ。何に対して城塞を築いたのでしょうか。
そんでとにかく致死級の罠の数々で前作シャムタンティの丘とは比べ物にならないくらいの難易度ですぐ殺されるという。そういうライアーゲームが繰り広げられている街なのだ。もう街じゃない。ぜんぜん憩えない。みんな住む気ゼロ。
「ソーサリー! 2」のなかまたち
はあはあ……。
ちくしょうあの街のごみためどもがあああああ!!!!!!
(▽Д▼;;;;)
とかなんとか抜けたはいいものの、”王たちの冠”を持って逃走した魔王のお家”マンパン砦”にむかうには目もくらむように広大なバグランド平野を突っ切らなくてはならなかったのである……。
と思ったけどどうしよう……。
The Seven Serpents
ソーサリー3 七匹の大蛇
デッドチェイス!!
七匹の大蛇をすべて斃せばその後の4部の展開が楽になるが、
そうでなければキツくなるもとりあえず今日は生き延びられる。
致すべきか致さずべきか。
ヤるべきかヤらざるべきか。
いま行くかいいやまだか、
いや、いまか。
そんな感じに99年宝塚記念は”栗毛の怪物”VS”SSの最高傑作”とのマッチレースがごとく、無数の選択の中から未来をたぐり寄せる苦悩と決断の第3部ということかな。
「ソーサリー! 3」のなかまたち
(▽Д▼ ;;;)
やっべー3匹くらい殺りそこねたよまじやっべーもう無理じゃねこれやっべー。
しかしもうここまで来たしもう往くしかないか……。
あれが……”マンパンの砦”。
と思ったけどどうしよう……。
The Crown of Kings
ソーサリー4 王たちの冠
いざマンパン砦!!!!
大魔王の忠実な兵士バードマン
4つのトラップ門
守銭奴のヴァルギニア
拷問の名手ナッガマンテ
衛兵隊長カートゥーム
視線で全てを焼き尽くすレッドアイ
眠れぬラム
7つの神々の頭を持ったヒドラ
とにかく障害が鬼すぎて全力で殺しに来るオーラスの第4部。
やはりよく「昔のゲームは難しかった」なんていわれる。
難しい=やり甲斐がある、達成感がある、楽しい
なんて構図。
今では、
難しい=とっつきにくい、広まらない、誰もやらない、つまらない
となる。
でもそれは難しいからというのではなくて”うまいことできていない”だけなんだろうね。
激辛ラーメンも辛いだけでいいならラーメンなんて食うなよなんて声も出るけど「いやラーメンの旨さがあってこそ」となるらしい。激辛ラーメン食べる人は。
あと任天堂の故・岩田社長が「昔のゲームがなんで難しかったか」をゲームセンターCXで話してたな。とにかくバリバリのゲーマーたちがつくってテストプレイも自分たちでやる規模だったんでどんどん自分たち基準で「もっと難しくないと簡単にクリアできちゃう」ということでいわば”辛く”なっていったんだとかよ。
ゲームブック界の最強神ソーサリー「王たちの冠」
顔面ソニーレイ+さま
懐かしい00年代前後期にみられるHPさま情報
「ソーサリー」作品紹介
「ソーサリー」魔法の呪文の書ガイド
「ソーサリー! 4」のなかまたち
\(▽Д▼ )
勝利!
って特別気の利いたエンディングとかは用意していませんよ。
人生にエンディングはないのさ。
いつだってそれは突然にさ。
だからいつその時が来てもいいように自分を(以下略)
世の情報
名作ゲームブック
「ゲームブック大事典」さま
廃れた原因とか
ゲームブックはなぜ廃れたのか
なんか詳しい歴史
ゲームブックの歴史:アドベンチャーゲームブック「火吹山の魔法使い」・ペーパーアドベンチャー・「ドルアーガの塔」3部作ほか
アプリで最近出ているらしいぞ!!!!
英語版だけだぞ!!!!
古典ゲームブック『ソーサリー』が iPadで復活、『魔法使いの丘』から (動画)
なんかカッコイイ。
ゲームブック投稿サイト様という気鋭の試みだ!!!!
ゲームブック募集中!作品投稿をお待ちしています。
GameBook.xyz さま
1億総クリエイター時代なんて言うしね。うん。カンタンに世に何かを出すことができる時代というし。出すだけならさ。ニコニコ関係とかほら色いろあるじゃないこういったインディーズのものが。そしてそうした中からプロも出まくっているというしさ。出すだけならさ。
名キャラ列伝
ジャン
ミニマイト(豆人)なる妖精ということらしい。調子の良いキャラクターだということで旅を賑やかに彩ってくれるという。
しかしコイツが近くにいると魔法が使えないので
プレイヤーたちは表向きはいい顔しつつも「どこでどうやって巻いてやろうか」と常に思考を巡らせることになるのだとか。
そういうのやめてほしいね。
本当の友情がほしいよね。
それにしてもコイツはあれだね。
あんまりこういうことは言いたくないからやんわりというけど
カマキリの佃煮みたいな感じだね。
アリアンナ
この世界で最大の美女のアリアンナさん。
「若い女でしかもとびきりの美女」なんだってよ。
巨乳だしそりゃあそうか。
「『ソーサリー』雑感(※クリア済みの方向けの雑文です)アリアンナのご褒美」バーチャルネットアイドルちゆ12歳さま
ゲームブックの名作とざーーっとの流れ
Choose Your Own Adventure(きみならどうする?)
79年。きみならどうする?
ということで「ロールプレイ」する子供用の書籍としてまずは存在していたようだ。「剣と魔法のバトルファンタジーで冒険」するというのでもなく、「本のなかで問いかけられてそれに答えを出していき何事かを学ぶ。」そんな教養書?てきなやつだったのかな?
最近の「きみならどうする?」シリーズ。うんありそうありそう。
「子供の思考力と判断力と想像力を鍛えます」的なね。
あと「あなたの祖父母はゾンビです。きみならどうする?」なんてのもあるよ。
ねえ?
どうするもこうするも。
(*´∀`*)ヘヘヘ
こまったもんで。
火吹き山の魔法使い
82年。ファイティングファンタジーの初作。
ゲームブック界にファンタジーロープレブームを焚き付けたらしい。
D&Dの流れはまたたく間に世界をバトルファンタジーと冒険の世界へ染め上げていく。
そして滞留し、
萌えやメタフィクションと統合し道化になってしまった僕たちのバトルファンタジー。
とうぜんの出来事であったかのように。
それは、
陽が昇って沈むように。
グレイルクエスト(ドラゴンファンタジー)
84年。14へいけ。
それが死亡フラグならぬ死亡宣告であったというのがとても有名らしい。あるいはそのような意を含んだ気持ちをやんわりと言いたいときなどにも使用されるという。
「14へいけこのやろう!!!!」的なさ。
日本では「ドラゴンファンタジー」の名称で出されていたみたい。ブラックユーモア満載ということで個性的なおもしろさを持った名作ゲームブックの一角を成すとか。
それにしてもドラゴンファンタジーってマンガや何かでRPGをパロディ的に登場させたい時に出てくる名前みたいだよね。「ファイナルクエスト」とか。日本のRPGの二大看板を合わせるやつで。あるいはこれらの名キャラたちがオールスター集合する権利的には違法中の違法だけれどもその完成度の高さが伝説となっているフリーゲーム「ドラゴンファンタジー」とか。
ローンウルフ
84年。一人旅。
かどうかはよくはわからないけどタイトルから察するにそういうことでしょう。わりと晩年まで生き残っていた人気タイトルであるという。
「一匹狼の冒険者がハードボイルドに生きる」
そんな感じではないでしょうか。欧米のゲームはこんな感じのキャラクターのアクションゲームが多いような気がするね。ウィッチャーやらなにやら。
しかし男なら誰しも憧れる生き様の一つ。
だれにも頼らず風の向くまま気の向くままふらりふらりと街から街へ山越え川越え今日もまた生きる意味を探す……。
的なさ(*´∀`*)
これぞデスペラード綺譚よ!
これに憧れたがためにボクは働いていません。
(*´∀`*)
ハンター×ハンターにハマったのが運の尽き。
自分を生きて死のーっと。
でもこの「ローンウルフ」って”40年ローンを組んでマイホーム買ったサラリーマン”ということにしても面白いかもね。「男はローンと戦い続ける……」みたいなさ。ね。面白くない?
面白くないか。
笑えないか。
ドルアーガの塔
86年。日本製最高傑作ゲームブック。
84年にナムコの「アーケードアクションロープレ」としてそこそこ人気であったというこのドルアーガの塔。アーケードというのはゲーセンでやるやつだね。ゲームセンターで。なんかロープレというよりはアクションアドベンチャーというかゼルダみたいな感じだけれども。
しかしそれがゲームブックで登場するやいなや瞬く間に上り詰めて「ソーサリー!」と双璧をなす傑作となっているのだという。
テーブルトークRPGブームがD&Dから始まり、
日本では「ロードス島戦記」を産んで国内で広まる。
ゲームブックブームがFF(ファイティングファンタジー)から始まり、
日本では「ドルアーガの塔」を登らせて国内で広まる。
日本はホント独自に発展カスタムして広げるのが得意だよね~。
まとめ
日本のRPG
現在の(というか黄金期の)日本のRPGの真骨頂である名シナリオストーリーのなかで繰り広げられる選択肢や展開の結果やマルチシナリオマルチエンディングなどは、
このゲームブックの影響が強いのかもしれない。
テーブルトークRPGより。
完璧な自由は演出を失うのだから。
自由度の限界。
「自由度自由度」といったところで究極はこの人生こそが自由度MAXではないか。海の中に放り出されて「さあ好きにどうぞ」的な。
もっと状況設定してテーブルトークRPGの発想しだいな遊び方や、
ゲームブックの多彩な選択肢による分岐の数々がある。
「自由度の高いRPG」なんていってもたかが知れてしまう。
”ぼくたちのRPG”の自由度には限界がある。
良くも悪くも。
オンラインRPGの2つのすごさ。
しかしなんの世界観もキャラクターもシナリオもないところで自由といっても面白く無いからいろいろなものがつくられる。イメージする想像力だけに頼らない、
バーチャルに創られた”視れる”画面上の世界。
そのなかで動ける眼前に映しだされた世界にぼくたちは釘付けになった。
そういった意味ではオンラインゲームはこの両立がある。
目の前に視える演出された世界のなかで、
それぞれプレイヤー同士のやりとりによって唯一無二のプレイが生まれていく。
テーブルトークRPGやゲームブックのもつ自由度を持ちつつ、
デジタルゲームの演出力をも持っているのだからね。
ぼくたちのRPGは。
こうしていろんなジャンルがあるなかで”RPG(ロールプレイングゲーム)”が”RPG(ロールプレイングゲーム)”であるには”特徴”が必要とされるのではないか。
圧倒的な演出力。
世界観、シナリオストーリー、キャラクター。
これらが織りなす物語の中に入って経験したことが楽しかったんだ。
”経験”したことが。
けれどもそれは同時に自由度を奪ってしまう。プレイヤーの発想の全てに応えるイベント対応はできやしないから。
しかしだからといってそれならばプレイヤーの意思をまったく無視した完全受動にしてしまえばいいとはならないだろう。
あくまでそれは”経験”でなくてはならないのだから。
そうでなければ”特徴”がなくなってしまうのだから。
それらのものは映画やドラマや小説や漫画にあるのだから。
そうして理論上で考えてみると、
いったいどれだけの至高のバランスで日本のRPGは成り立っているのかを魅せつけられる思いである。
”黄金比率”すぎはしまいか。
といってそれを完全なものとしていると新しい試みをする余地を奪ってしまうだろうし、まったく難しいものだ。というよりこの事から察するに、進化するには結局のところこの”黄金比率(ドラクエテンプレ)”は一度破壊せねばならなかったのか。
それはまた00年代の暗黒の時代で感じていくことにしようとおもう。
「わずかな光を頼って暗闇のなかを進んでいける勇気。」
”選択”と”決断”と”不断の行動”と”結末”と。
「グローランサー」の項や「ビュリダンのロバ」でもあるけれど何かを選ぶことの難しさね。好きに選びたいとは言うけれどけっきょく迷って迷って迷ってもう誰かが決めてくれたらどれだけ楽だろうかなんて思うときがあるよね。
ただの趣味ならまあどうでもいいかもしれないけど、
結果を出さなければいけないが、先がわからない時の選択はそのひとの哲学が出る。
あくまで結果なのか、
なぜ選ぶのかという理由か。
とか。
そんなに結果がほしいなら空から一億降ってくればいいんだ。あるいは誰かが決めてくれれば自分に責任はないと思えるから気が楽か。
案外ひとって選べないのね。
ロバは、 同じ距離、同じ量のエサが、2つの分かれ道の先にそれぞれあるとしたら、
どちらも選べずに餓死するという。
「ビュリダンのロバ」
選ぶことに対する苦痛を放棄して、運命に流され続けることを、
知らず知らず無為の内に容認していく。眺めている。選択権がなくなって、初めて言い訳を始める。
それが未だ目の前にあるうちはビビって選べやしない。怖くて怖くてたまらない。責任か、優れた選択をしたいというプレッシャーからか、
何もしなければ何も悪いことはないと思っているのか。思いたいのか。自分のことにすら責任を取れないのか。
後に”フリードリヒ大王”と尊称される。
ちなみにジャガイモの栽培を推奨したのもこの人の功績だ!!
ポテチが食べられるのもそういうことだぞ!!
雑念入り交じる中での判断がそもそも難しいのに、
なかから選択しなければならず、
ようやく決断したとしても、
さらにはその結果が出るまでの時間を迷いながらすごさねばならない。
「あっちのほうが良かったのではないか?」
決めた瞬間からそんな思いにうなされ続けるのに、
結果が出るまでをひたすら行動し続けなければいけないのだ。
人が選ぶことを放棄するのも無理ないことに思える。
有名な軍学書「戦争論(フォム・クリーゲ)」の著者フォン・クラウゼヴィッツはフリードリヒ大王の判断力、勇気、行動、決断についてこう述べている。
「わずかな光を頼って暗闇のなかを進んでいける勇気。」
我々がフリードリヒ大王に感嘆するのはまさにこの点にある。
カール・フォン・クラウゼヴィッツ(岩波文庫「戦争論」篠田英雄訳)